岐阜県の主要データ (「ぎふ県政要覧2006」より抜粋) 項 目 岐阜県 全国順位 年 次 備 考 総面積 10,595 q2 7 H16.10.01 国土地理院 可住地面積率 20.2 % 45 H15.10.01 総務省推計 森林率 81.7 % 2 H14.03.31 林野庁 総人口 2,107,293 人 18 H17.10.01 総務省 1世帯当たり人員 3.07 人 5 H12.10.01 総務省 老人クラブ加入率 43.2 % 3 H16.03.31 厚生労働省 経常収支比率 81.8 % 47 H15年度
総務省 消費者物価指数 96.4 % 45 H16年度
総務省 副業的農家割合 74.5 % 1 H17.02.01 農林水産省 第2次産業就業者割合 38.7 % 2 H12.10.01 総務省 1人1日当たりごみ排出量 949 g 45 H14年度 環境省
平成の大合併の軌跡
現在の市町村数は「42」
合併日付 新市名 旧市町村名 H18.3.27 大垣市 大垣市、上石津町、墨俣町(二重飛び地合併)
H18.1.23 多治見市 多治見市、笠原町
H18.1.1 岐阜市 岐阜市、柳津町
H17.5.1 可児市 可児市、兼山町(飛び地合併)
H17.3.28 海津市 海津町、平田町、南濃町
H17.2.13 中津川市 中津川市、山口村(長野県)、坂下町、川上村、加子母村、付知町、福岡町、蛭川村(46年ぶりの越県合併)
H17.2.7 関 市 関市、武儀町、上之保村、洞戸村、板取村、武芸川町
H17.2.1 高山市 高山市、丹生川村、清見村、荘川村、宮村、久々野町、朝日村、高根村、国府町、上宝村(日本一広い市:東京都の面積に匹敵)
H17.1.31 揖斐川町 揖斐川町、谷汲村、春日村、久瀬村、藤橋村、坂内村 H16.11.1 各務原市 各務原市、川島町 H16.10.25 恵那市 恵那市、岩村町、山岡町、明智町、串原村、上矢作村 H16.3.1 下呂市 萩原町、下呂町、金山町、小坂町、馬瀬村 H16.3.1 郡上市 八幡町、大和町、白鳥町、高鷲村、美並村、明宝村、和良村 H16.2.1 飛騨市 古川町、河合村、宮川村、神岡町 (同日「過疎地域」として官報に公示) H16.2.1 本巣市 本巣町、真正町、糸貫町、根尾村 H15.5.1 瑞穂市 穂積町、巣南町 H15.4.1 山県市 高富町、美山村、伊自良村
岐阜県は国土のほぼ中央に位置し、全国では数少ない内陸県の一つです。
県の北部、東部の大部分が山地で、また、東部県境には海抜3000mを越す山々を連ねた「日本アルプス」と呼ばれる飛騨山脈が、西部県境には海抜2000m内外の両白山地や伊吹山地等があります。
これらの山地の間に、北から飛騨高地、美濃高原、そして海抜0m地帯の水郷地帯を含む濃尾平野に及んでいます。このため「飛山濃水の地」と呼ばれています。
2つの天下分け目の戦い
千年の時を経て、日本を変えた2つの天下分け目の戦いが奇しくも同じ関ヶ原の地において勃発しました。現在も東西の交通の要所として知られるこの地に起きたこれら2つの戦い、果たして必然でしょうか?偶然でしょうか?
関ヶ原の合戦
慶長3年(1598年)、時の支配者・豊臣秀吉が没すると、秀吉を補佐する5奉行をはじめとする武将たちが、徳川家康派、石田光成派に集結し始めました。そんな折、古参で中立派の前田利家も没すると、かろうじて保たれていた均衡も崩れ、ついには合戦に突入しました。
家康率いる東軍は、岐阜城を攻略した後、得意な野戦に持ち込むために、光成率いる西軍の拠点・大垣城を迂回し西進しました。慶長5年(1600年)9月15日午前8時に関ヶ原にて激突しました。
西軍は数的有利な状況にありましたが、格下大名・光成には統率力がなく、小早川秀秋が寝返ったことに端を発し、午後3時ころわずか7時間で雌雄は決したと伝えられています。
壬申の乱(じんしんのらん)
大化の改新等を手掛けた天智天皇(中大兄皇子(なかのおおえのおうじ))が671年に没すると、その後継を巡って子である大友皇子(おおとものおうじ・弘文天皇)と弟の大海人皇子(おおあまのおうじ・天武天皇)の対立が表面化しました。
翌672年、関ヶ原にて衝突しましたが、戦には大海人皇子が勝ち、戦に敗れた大友皇子は大津宮の近くで自害したと伝えられています。
白川郷〜合掌造り集落(世界遺産)
日本の原風景ともいえる風情、ゆったりと流れる時間・・・白川郷には日本人の心の故郷でありつづけて欲しいと願います。
厳しい環境に立ち向かい生き抜く術を求めて戦ってきた人々、自然と人間の力比べの結果は合掌造りが物語っています。
多大な労力を要する茅葺きは「結(ゆい)」と呼ばれる相互扶助の慣習により成し遂げられます。その力の貸し借りが、人々の心をも結びます。
秋には、通称「どぶろく祭り」がとり行われ、収穫への感謝を込めて神様に「どぶろく」を捧げます。そして、人々も神様と酒を酌み交わします。
飛騨天領〜天領に封印された小京都
かつては「美濃の国」と「飛騨の国」に分かれておりました。
「美濃の国」は、いつもの小藩による分割統治が行われていましたが、「飛騨の国」は、江戸時代初頭から徳川幕府の天領(幕府直轄地)として一括統治されていました。
独特の風情を醸し出す高山の街並み等は、天領という絶対的な統治を背景に熟成され、存続してきました。そして現在、元祖・小京都として多くの人に愛され続けています。
中山道 〜姫街道〜
中山道は、現在の東京日本橋から埼玉、群馬、長野、岐阜、滋賀各都県を通り、京都三条に至る江戸時代五街道の一つです。全69宿のうち、岐阜県に16宿あります。
江戸時代この道は、皇族や公家の姫君が徳川家へ下向する際に通ったことから、別名「姫街道」とか「緋の道」とも呼ばれてました。
中仙道を通って嫁いだ最後の姫君は、十四代将軍徳川家茂の妻となった皇女和宮で、幕末の動乱期に17歳で婚礼を挙げたものの、21歳で未亡人となり、32歳でその生涯を閉じるまで徳川家の存続と日本の平和のために力を尽くしたと伝えられます。
<和宮が詠んだ歌>
〜 「落ちてゆく身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれこそすれ」
〜 「遠ざかる都と知れば旅衣一夜の宿も立ちうかりけり」
〜 「思いきや雲井の袂ぬぎかえてうき旅衣袖しぼるとは」
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